April 21, 2005

横断幕の話

ACLで水原と対戦すべく磐田の皆さんが乗り込んでいったら、
相手方のサポーターがこんな横断幕を掲げていたそうで。

ふぅ。

「戦犯」自体が東京裁判で戦勝国による一方的な魔女狩りで決めつけられたものであるとか言い出したらきりがないのでここでは言いません。
私自身は日本は60年前の戦争で「戦敗国」ではあるが「戦犯国」ではないと思っているけど、韓国民が日本国民を「戦犯国民」だと思っていてもそれは向こうが思っていることだから仕方がない。
人の考えは他人が変えることはできませんから。

ただね、今のところ私は韓国人とのつきあいはないけど、
サッカー会場で堂々とこういう横断幕を掲げる感性を持っているのだな、と
もし今後韓国人の知り合いができたときには、このことはよくよく思い出す必要がありますな。

なんて書いていたら、常磐線の方の黄色いチームにいる
リトル・マラドーナ君のことを思い出しちゃいました。
まだ「独島は韓国固有の領土だ」と書いたアンダーシャツ仕込んで
試合に出ているんですかねえ。

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August 23, 2004

石川直宏の無念

石川直宏について、こんな記事を見つけた。
彼はアテネに行ってから2試合全く出番がなく、チームはその間に1次リーグ敗退が決まってしまった。
その敗退が決まったあとにはこんな事を言っている。

しかしギャフンと言わせる間もなく途中交代。
FC東京の石川のためだけにチームがあるわけではないことは十分わかっているが、
いったいどういうつもりで連れて行ったのか。ちっともチームの役に立っていないじゃないか。
役立たせるつもりがないなら、初めから連れて行かないでおいてくれればよかった。
そうすれば先週のセレッソ戦だって・・・・・・(負け惜しみ100%)

さて、「選手は成長してくれた」と、山本監督は言っていた。
果たして、山本氏自身はどうだったのだろうか。この予選・本選を通じて成長したのだろうか。

先日亡くなった野沢尚の遺作「龍時 03-04」の中で、主人公のリュウジにGKコーチのクズ兄ィは言った。
「これだけは知っておいてくれ。監督は選手を育てる。同時に、選手が監督を育てるんだ。」
「選手も不完全だし、監督も不完全。足らないものを補う関係じゃないかって、俺は最近思うようになった」

「龍時 03-04」では、オリンピック日本代表はファイナルまで勝ち進み、
決勝のゲームで「可能の限界を見て」、さらに高みへと足を踏み入れた。

現実のオリンピック日本代表は、アテネの地でどこまでの可能を見てきたのだろうか。
監督と選手たちはお互いを導き、育て合うことができたのだろうか。
真面目な話、選手だけではなく、監督も真剣勝負の修羅場をくぐって育っていくことは間違いない。
現横浜の岡田監督がいい例だと思う。

今回の本選、山本昌邦氏がこの経験を生かして、
日本人の指導者のレベルアップに貢献してくれることを心から願っている。

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August 22, 2004

はじめまして。はじめました。

クイック投稿 | blogサービス[ココログ]:@nifty

もともとblogで日記は書いているのですが、切り分けをした方がいいかと思いまして、
自分の人生の三要素、仕事・家族・FC東京のうちFC東京を切り分けて立ち上げました。
東京について思ったことや感じたことを野放図に書き散らかすための趣味のページです。

子供の頃、「三菱ダイヤモンドサッカー」を見て、ヨーロッパのスタジアムの雰囲気に憧れ、
自分の住む町がホームタウンになって2週に一度サッカーの試合が行われる、
なんて羨ましいことだ、と思っていました。

プロサッカーなど夢のまた夢、せめて自分が生きている間に一度でいいから全日本がワールドカップに出てくれれば、
と思っていたら、私が30歳になろうかという年にJリーグができ、全日本もワールドカップ寸前まで行きました。

Jリーグは爆発的に人気を呼び、試合会場はいつも満員、でも東京にはチームがなかった。
浦和・横浜・市原・鹿島。みな羨ましかった。
浦和のサポーターは格好良くて何となく「とりあえず」浦和ファンでしたが、
「自分はよそ者」という意識は常に自分の中にありました。

1998年の10月頃だったと思います。
テレビ東京の夜のスポーツニュースを見ていると、Jリーグの機構改革ニュースの中で、来年から
JリーグをJ1とJ2に分けて、J2にはJFLからJリーグに上がりたいチームが参戦する、と報じていました。
アナウンサーが出したフリップに、東京ガスがFC東京と名を変えてJ2に参戦する、とありました。
ホームスタジアムは、調布飛行場横に作る武蔵野の森公園競技場(当時の仮称)を使う、と。

これは・・・目と鼻の先にJリーグがやってくる、ということです!
ネットで調べてみると、確かにニュースで言ったとおりです。

東京にとうとうチームができる!
スタジアムは調布飛行場横・・つまり家から歩いていける場所にホームスタジアムができる!!
子供の頃、テレビで見ていた夢の光景が、自分のものになる!!

正式発表があり、年間チケットの予約が始まると、私は直ちに申し込みました。

開幕は1999年3月14日、西が丘競技場でのサガン鳥栖戦。
以来、ホームゲームはなるべく欠かさず、アウェーも関東はなるべく行くようにしています。

私の現在の目標は、FC東京の株主になること。
どうすればなれるかを、多磨駅前でビラ配りする村林専務を直撃して聞いてきました。
来年の年末には出資者名簿に名を連ねることを目指しています。

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